【フランス】『ナンシー国際音楽フェスティバル②』
(2007年7月27日~8月6日)
再び Nancyphonies に参加して・・・
ナンシーから無事帰ってきました!
最初の2日間は曇っていたため、綺麗なはずの町並みが何となくくすんで見えていましたが、週明けの7月30日からは青空が広がり、明るくなりました♪
後半は、毎日日中は30℃を越す日も多く、暑すぎるくらいでしたが、夏らしくて気持ちよかったです。
湿気がないので、さわやかではありました。
久しぶりに(ナンシーには2年前に一度訪れましたが、その時の様子は2005年8月の「演奏旅行記」に書かれています)スタニスラス広場へレッスンの合間にふらっと足を運びましたが、何度見ても「素晴らしい!」の一言です。
音楽芸術もそうですが、建築物や絵画も、素晴らしいものは何度見にきても飽きる事がないですね☆
一度目はただただ感激、二度目になると何か広場と建物が、私たちが来るのをずっと待っていてくれたような、とっても懐かしい気持ちになり、親しみを感じてしまいます♪
まるで2年ぶりに友人と再会するような・・・☆
『あぁ、やっぱりナンシーに来てよかった!』と思いました。
今回は、初日からドタバタ騒動でした。
まずナンシー行きのTGVが発車するホームを知らせる電光掲示板に「30分遅れ」と表示され・・・
結局は45分以上遅れて出発!
ナンシー駅に着いたら、TGVが遅れたため25%払い戻しをしてくれるとの事で、切符を入れて送る封筒をもらいました。
お金を少し返してくれるより、正確に走って欲しいです・・・。
でも車窓からの景色は、アルザス地方の方角に進んでいくので、見慣れた景色が多く、懐かしかったです。
やはり、TGVは普通列車よりも座席の乗り心地はいいし、背もたれもよいせいか疲れなくていいですね♪
初日にまずフェスティバルの事務局の方から宿泊部屋の鍵を頂いたのですが、マキの部屋に入っているはずのピアノないのです・・・。
「どこにピアノがあるんですか??」と部屋の中をキョロキョロ。
その上、マキとナオの部屋は隣、又は向かいの部屋でとお願いしていたのに、マキはA棟でナオはB棟だと言われて、「え~っ!?」
それで事務局の方とガタガタやっていたところ、マキの斜向かいの部屋に案内された管楽器の仏人男性が「なぜか僕の部屋にピアノが入っているんですが?」と言いに来たのです。
結局、その仏人に事情を話して、ナオがピアノの入っていなかったマキの部屋に行き、マキは仏人のいたピアノのある部屋に、そして仏人はナオのいたB棟の部屋に移ってもらう事で落ち着きました。
マキとナオは、どうしても毎日二人で合わせて練習しなければならないので、目の前の部屋の方が便利なのです。
これでバッチリ練習ができるね、と大満足!
部屋は小さなキッチン付きですが、毎日忙しいと思って昼食と夕食は食堂のお食事をお願いしていました。でも、一昨年は大学寮から食堂までそう遠くなかったのに、今年はその食堂が夏休みを使ってリフォーム中とのことで、片道20分もかかる別の食堂まで行かなければならなかったんです。
学生食堂の日替わりメニューで、食事の内容はまあまあでしたが、一度春巻が出て驚きました。意外と仏人って中華が好きなんですよね。
食堂は、お昼は11時30分から13時30分、夜は18時30分から20時まで、と時間が決められているので、コンサートの本番やレッスンの時間と重なり、何度かパスしないといけない時もありました。
週末は食堂がお休みなので、パリから持ってきた「うなぎ」とおなべで炊いたご飯をいただきました♪
今年は、後半に5回コンサート出演があったのですが、自信のある曲だけではなく、まだまだ日が浅い曲まで弾かないといけないというこの試練・・・。
かなり疲れました。
夜は10時までしか練習できない規則になっているので、「時間との戦い」ってこういう感じなのでしょうね~!
実は今回は、日本からの参加者もいらしていて、以前フランスのクールシュヴェルのマスタークラスで一緒だったMちゃんからマキは通訳をお願いされていたのですが、いつもMちゃんとレッスン時間が重なってしまい、思うようにお手伝いしてあげられなくて申し訳なかったです。
先生に質問したい事くらいは直接お話してあげられたけれど、言葉が通じるか通じないかでレッスン内容が変わって来るので、大変だと思います。
ナンシー生活での前半は練習とレッスン、最後の4日間はコンサートがあるので、本番の練習に追われる毎日でした。
バタバタ走り回った忙しい10日間でしたが、とても充実した日々を送ることが出来ました。
本当に忙し過ぎる毎日でしたので、教授たちは「パリに帰ったらゆっくり休養とらないとダメよ」、と心配して下さいました。
今回教授たちから頂いたお言葉で一番嬉しかったのは、「あなたたちは、楽器と向かい合って語りかけたり戯れたりできるから、音楽がとても温かく、みんなを優しく包みこんでくれる。綺麗なメロディーを甘く弾くというのは、簡単なようで誰にでも練習すればできるというものではない。これはあなたたちの武器ですよ。」とおっしゃって下さった事です。
まだまだ課題はあるし、自分自身満足していないので、もっと練習しなければなりませんが、先生が認めて下さるとこれからの勉強にも力が入ります。
今回の音楽祭での頑張り方は、自分たちでも満足していますが、これにはちょっと理由があるのです。
実は9月にレコーディングの計画があるので、どうしても満足な演奏を入れたいのです・・・☆
のんびりとゆるやかな時間が流れている美しいナンシーの街で、自分たちだけが飛び回る生活を送っていたと思うと、ちょっと滑稽です。
でも、全部が終了してから町をフラフラ見物して歩くと、何か充実感と満足感で、幸せ一杯な気持ちで散策できるのです。
もちろん、旅行だけの方がコンサートの事が胸にひっかかっていないので、もっとのびのびできるけれど、たとえば、ロシアやチェコ共和国などでのオーケストラと共演したあとの数日間の散策も、「コンサートが無事に終わった!」ということで、何か特別な気持ちになって胸がワクワクというか晴れ晴れして、見るものがすべて宝物みたいに美しく見えてくるんですよね。心弾む気分というのかな?
とにかく特別な日なのです。
最終日には、ナンシーのコンセルバトワールのラヴェル・ホールで本番をすませたあと、ゆっくり散策をして楽しみました。
最後の4日間で5回の本番、緊張しましたがこの経験はとても貴重だったと思います☆
私たちはまず、ペピニエール公園に足を運びました。
ここには孔雀や白鳥、チンパンジー、サル、そして生まれたばかりのサル赤ちゃんにも会いました!
小さい動物園ですが、綺麗で整然とした素敵なペピニエール公園の一画にあるのです。
管理が行き届いているせいか、動物園独特の臭いがなく、綺麗に整備されていました。かわいい動物たちの写真もちょっと撮りました♪
それから、スタニスラス広場にあるナンシー美術館に入りました。
フランスの17世紀から20世紀までの画家、ガレやドーム、そしてナンシー生まれのフリオンの絵画をはじめ、彫刻も沢山展示されていました。
フィレンツェの美術館とは比べ物にはなりませんが、イタリアのフレスコ画や17世紀の絵画もありました。
絵も音楽と同じで、自分の気に入った画家だと時間を掛けて見ますが、あまり興味がない画家は素通りしてしまいます。
いつものことですが、美術館には多くの絵画があるので、一日では見ることはできないですね。
ゆっくり絵画巡りをしていると、どうも足の裏が疲れてきてしまうのが残念です。
普通に町を歩いている時は全然平気なのに・・・。
最終日最後を飾って、馬車にも乗りました。今年新しく出来た企画だという事ですが、18世紀の時代に馬でナンシーの町をまわっている気分になれるように、馬二頭に引いてもらって、昔の歴史を残したナンシーの町並みだけをじっくり見物して回れるような企画なのです。
本当に優雅な貴族になった気分で、素敵な体験が出来ました☆
これも一時間コースなのですが、スタニスラス広場の横から出発して、最後にスタニスラス広場を一周して終点です。
一昨年はプチ・トラン(観光電車)に乗りましたが、アート・ヌヴォーの建築物や、建物の周囲を飾っている装飾品を見て回るには少し速度が速すぎたと思います。
お馬さんだと、自分の目でしっかり見て回れるのでよかったです♪
スタニスラス広場は、建造物に照明が照らされると広場の夜景はまるでメルヘンの世界です☆
8月5日の夜、フォーレのピアノ四重奏曲とブラームスのピアノ四重奏曲のコンサートを聴いたあと、スタニスラス広場の夜景見るため寄り道してから帰りました。
特に素晴らしいコンサートの後だったこともあり、見事な照明に照らされた市庁舎とオペラ座は美しかったです。
まだその時はずっとメロディーが頭に鳴り響き、特にチェロの響きに感動していた時でしたので、今まで以上に美しく見えました。
この広場に来ると、フランスではなく「ナンシー公国」時代がどうであったかが想像できます。
スタニスラス一世は、もともとポーランド国王だった人ですが、ロシア軍に追われ、フランスに亡命した際に、ロレーヌ地方を譲り受けて統治したので、ナンシー公国当時の芸術の素晴らしさがあると思います。
ナンシー生まれのエマニュエル・エレがスタニスラス一世の命でこのスタニスラス広場を作ったのですが、これは完全に東欧の感覚で造られている建造物だと思います。
これは、ナンシーならではの文化ですね。
目の保養もさせてもらいましたし、素晴らしい演奏も聴かせて頂きました。
そして、私たちも沢山演奏させて頂き、沢山の喜びを頂きました。
充実した楽しい10日を送れたことに、本当に感謝しています☆